新刊を買うような金はない。大型古書店をめぐり、アマゾンのマーケットプレイスで中古本を検索するのが、日課になりつつある。
夏のこの時期は喉が渇く。街で自販機の前を通ったり、コンビニによったりすれば、どうしても清涼飲料水に手がいってしまう。しかし、最近はそういった喉を潤す消費活動を、ことのほか避けるようになった。なぜなら、100円玉さえあれば古本が買えるのである。ここでジュースを我慢して、代わりに水を飲めば、または家に帰って買いだめしてあるパックのジュースを飲めば、もしかしたら自分の人生を大きく変えるような一冊に出会えるチャンスがより多く増えるのだという気持ちが僕を抑制する。あるいは僕は、喉の渇きよりも、心の渇きを強く感じているのかもしれなかった。
そんな折、僕は100円でこの本に出会った。いつも古本屋に入るとまずチェックするのが沢木耕太郎の棚だ。次に、スポーツの教則本関連のならぶ書棚へいき、その次に、その日思いつく限りの読んでみたい作品や作家の棚を探したり、漫画コーナーに足を運んだりする。
いつものように中古本屋で、日本人作家の文庫本コーナーをあさっているとスポーツと書かれたインデックスがはさんである小さなコーナーがあり、金子達仁や二宮清純、村上龍と中田の対談本などがあった。その中の一冊に『リターン・マッチ』があった。
帯には
人生に負けつづけたこの子たちに一つでも勝たせたい -定時制高校にボクシング部が生まれた- 大宅壮一ノンフィクション賞受賞
とあった。手にとってその帯の言葉を見た瞬間、これは自分の読むべき本だと確信した。そして、その思いは間違いではなかった。一瞬にしてこの本の主人公に惹き込まれていった。
定時制高校の教壇に立って二十数年、子供たちの変化に脇浜義明は戸惑っていた。「成績は悪いが、ケンカは強い」が、いつ「成績も悪く、ケンカも弱い」になってしまったのか。脇浜は子供たちにひとつでも「勝つ」ことを知ってもらおうとボクシング部を創設する。それは彼自身の敗者復活戦でもあった。
amazon「BOOK」データベースより
簡単に言えば、これはスクールウォーズのボクシング版である。不良たちがいかに更生されてゆくか、弱小チームがいかに強くなっていくかというプロセスを描いた点においてだけ言えば、そういってしまってもかまわないと思う。不良高校生や、人生に目標や夢を見いだせない“負け組”の生徒に、ボクシングという競技を通して、人生を、そして生きるとは戦うことであるという心構えを男は傷つき、傷つけられ合いながらも生徒と格闘し伝え続けるのである。
しかし、そこに描かれるストーリーは、最終的に全国チャンピョンになってゆくといった類いの成功物語、感動秘話ではないのだ。
山口良治を主人公にした、スクールウォーズの原作『落ちこぼれ軍団の奇跡』は、伏見工業高校ラグビー部がその奇跡という言葉が相応しい全国優勝を成し遂げるまでのストーリーに主眼がおかれている訳だが、この『リターンマッチ』に出てくる高校生たちに奇跡はおきない。そもそも山口良治という全日本選手が指導する伏見工には、その後中学ラグビー界のエリートが続々と入学/入部してきており、全国優勝を成し遂げた時のメンバーは、もはや“落ちこぼれ”軍団では決してなかった。奇跡は山口良治ありきで起きたものなのである。
人間そんなに簡単に変れない、変ってもらっては困る、そう脇浜は言う。確かに現実問題として人間そんなに変れるものじゃない。スポーツを通して劇的に変る若者も沢山いる。しかしそれはスポーツという世界を離れるととたんに意味をなさなくなってしまう現実に、脇浜は何度となく打ちのめされ、しかし這い上がってゆく。
この物語が『落ちこぼれ軍団の奇跡』と決定的にことなっているのは、主人公はボクシング部の顧問であるという前に、“教師”であるという点だ。
生徒を見つめる目は、“元ボクシング選手”のそれではなく、あくまでも“教師”だ。
負けて涙する生徒を見て、満足げな表情を浮かべる脇浜は“勝つ”ことではなく“勝ちたい”と願うこと、それが生徒の今後の人生にとって糧となることを願っているように思える。
自身も苦労をし、国公立の夜学を出て英語教師になり、組合活動を通して様々要求を教育委員会に通してきた。それは日教組的な活動ではなく、脇浜が生きる中で身に付けてきた思想や理念を具現化する実践的な活動だった。そうした活動にも、少々嫌気がさしてきたころに、生徒から「ボクシング部を作りたい」と相談をうける。そこから、この教師の新たな戦いがはじまったのだ。
定時制高校というものが、勤労学生のためのものではなく、受験失敗組や様々な問題を抱えた生徒たちのはき溜まりとなっていったことを、この先生は受け止め、暖かい眼差しをもって、彼らを敗者復活戦に導いてゆく。
生徒たちの置かれている環境に時折、目を伏せたくなる。
著者は脇浜や生徒の美しい師弟関係だけではなく、そこから生まれる齟齬や亀裂、それぞれの人物の負の側面、欠点というものも描き出してゆく。しかし、そういったことが描かれても、なお脇浜が魅力的な人物であり、脇浜と生徒たちとの関係がうらやましく感じられるのは、著者、後藤正治の文章力に拠るところが大きい。
スポーツへの切り口、選ぶ対象、文章の語り口など沢木の二番煎じともとれなくはない。実際、読めばわかるが相当意識していることが伝わってくる。けれども、彼でしかこの作品は書けなかったと思わせる何かがある。沢木の陶酔感とは異なる清涼感がこの作者の文章にはある。二番煎じのお茶のほうが、ゴクゴクと飲めて渇きを潤すのにはピッタリだ。
僕の心は100円で、最高に潤っていた。
2009/08/29