「車輪の一歩」と「リアル」

山田太一のドラマ『男たちの旅路』に「車輪の一歩」という回がある。
僕は井上雄彦の『リアル』を読んで、このドラマの1シーンを思い出した。斉藤洋介演ずるところの車椅子の青年が、両親にトルコ(風俗のことを当時はそういった)と懇願し金を借りて風俗店に行くのだが、結局どの店にいっても障害者であることを理由に断られ夜遅く帰宅する。そのことを両親には言えず、嘘をついて最初は「いってよかった」とカラ笑いするのだが、その後耐えきれなくなってワーワー泣き出してしまうシーンだ。母親に、女性とセックスがしたいからお金を貸してくれと懇願すること自体どれだけ、つらく悲しく切ないことか。このシーンは今でも脳裏に焼き付いている。NHKで何度も再放送されており、僕が見たのも再放送だった。当時まだセックスの意味も風俗の意味もよくわからない未成年だったはずなのだが、泣かずにはいられなかった。

リアル 1 (Young jump comics)

リアル 1 (Young jump comics)

井上雄彦の『リアル』には、3人の主人公以外にも障害を持った青年達が登場する。その中の一人に戸川を車椅子バスケットボールに誘ったヤマという青年がいる。その青年は自分の障害と真正面から立ち向かうことのできる精神力の持ち主なのだが、進行する病魔は彼のそんな心をも代えてしまう。惹かれ合う戸川と安積の2人を前に「もうセックスした?セックス、セックス,セックスがしたい」と、心の叫びをぶつけてしまうシーン。それは「車輪の一歩」の青年の姿同様に心に突き刺さる。

障害者を扱ったドラマや漫画、そういったものの大半は綺麗事ばかりで当の障害者とってリアルじゃない。あたかも障害を悲劇の道具として扱い、そこに恋愛や友情、家族愛といった表面的な愛をのっけているだけにすぎない。しかし、山田太一が描いた青年や井上雄彦が描いた青年はリアルだ。僕は障害を持っている訳じゃないけれど、この2つの作品がリアルだってことは、そこに描かれている人物の姿をみればわかる。

『リアル』は漫画である。登場人物の大半は美男美女だ。とくに戸川は井上雄彦作品の登場人物らしい美青年で、性格もポジティブである。そいうった意味では、少し現実とかけ離れているかもしれない。しかし、ノンフィクションのドキュメンタリーで車椅子バスケットする青年達の映し出すことのリアリティと、『リアル』に描かれている青年達の姿のリアリティと、どちらがよりリアルかという問いの答えは、おそらく後者に軍配があがると思う。なぜなら、多くの場合、人間は取材陣やカメラの前で本音は語らない。それはカメラや取材陣というフィルターを通した建前によって作られたリアリティだからだ。

スポーツそのもの魅力を最大限に伝えるには、生でスポーツを観戦するのが一番であり、その次がそれを映像で見る事だ。現実のスポーツをそのまま描くノンフィクションの世界こそが、スポーツを表現するには一番のジャンルである。そう思っている人は多いだろう。実際、スポーツを題材にした映画やドラマにおいて、スポーツシーンが現実のスポーツの世界を超えているというのは稀である。というよりも、おそらくそいったものは存在しない。

ではなぜ、人々はフィクションのスポーツドラマを求めるのか。

スポーツというのは社会の縮図である。強いものが勝ち、弱いものが負ける。そういった中で形成される人間関係においての葛藤は、私たちが生きる現実社会にも多数存在することだ。

そういう人間関係における葛藤、心理状態をリアルに描こうとしたとき作者はフィクションにたどりつくだろう。

戸川、野宮、高橋といった3人の主人公を配した構成も、フィクションであるからこそ可能であり、障害者と健常者の両方の視点を描くことで障害を描くのではなく人間を描く事に成功している。結局のところ同じ人間なのだ。野宮朋美のパートはそういう意味で、この作品にとって非常に意味深い。重いテーマでもあるに関わらず、気にせず読めるのも野宮の存在があってのことであり、これを読む読者自身の姿に重なる。

『リアル』という漫画は、スポーツ漫画というジャンルの存在意義をも伝えてくれる、稀に見る傑作だ。

2009/4/11 (加筆修正してあります)

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