町を歩いていると、時折耳が湧いている若者を見かける。
それは柔道でもなくラグビーでもない湧き方だというのが、なんとなく僕にはわかる。
ホームで働く駅員や、電車の中のサラリーマン、日雇い労働のアルバイト、いろんなところにその耳はあった。
その耳は彼がレスラーだったことを雄弁に物語っている。
僕は餃子耳にあこがれていた。そんな僕の言葉を生え抜きのレスラー達は、みんな笑った。
ちょっと耳が湧いてうれしそうにしている僕に、一人の先輩が言った。
『そういえば、湧いた耳は男の勲章やって言ってた先生がおったなぁ』
レスリングで成功する人間は一握り。その一握りの中のうちの、ほんとうに上澄みの方だけがオリンピックへ行き、メダルを持ち帰ってくる。
金メダリストを頂点としたピラミッドは、数限り無い敗北者の土台によって支えられている。
オリンピック競技と、奨励会はそういった意味で共通した世界だ。
オリンピックが4年に一度しか開催されないのと同様に、奨励会には年齢制限という、時間の壁がある。
かつて天才と言われた少年が、夢を敗れて去っていく。
成功者の生き様を綴ったノンフィクションの佳作は数多く存在するが、敗北者の生き様を綴ったノンフィクションの佳作は少ない。佳作が少ないというより、数自体が少ない。
なぜなら敗北者の人生を描くことは、成功者を描くことより遥かに難しいからだ。
作者、大崎善生は将棋雑誌編集者から作家になった。将棋界に属し、奨励会で生きてゆく若者達を身近で見守ることのできた大崎氏だからこそ書ける内容。前作『聖の青春』でデビューし、本作が作者自身もターニングポイントとなったであろう渾身の一作なのだ。
大崎氏の将棋界、奨励会に対するスタンスは、僕のレスリング界に対するスタンスに似ている。
棋士にとって将棋の駒が特別なものであることを大崎氏が知っているように、僕はレスラーの湧いた耳が男の勲章だということを知っている。
この本を読み進めてゆくたびに、奨励会と同じく、オリンピックという夢を追う者達の世界に、少しでも関われた自分がとても幸せだと思う。
敗北者の人生と言ったが、実はそうではないことが後半からわかってくる。夢破れても、その夢はその人を支え続けるのだということをこの本から教わった。
『聖の青春』と合わせて、スポーツ経験者必読の一冊である。
2009/4/11