スポーツ映画:Battle of the Sexes(バトル・オブ・ザ・セクシーズ)
楽しみにしていた映画だった。
「Based on a True Story」のスポーツ映画だし、なにより一人のアスリートが、様々な差別やハンディキャップを乗り越えていく生き様を描いた物語が大好物だったからだ。
しかし、そんな期待感を胸にこの映画を見始めた私の気持ちは、裏切られることになった。なぜなら、最初こそ一人の女性スポーツ選手が、その当時に支配的だった価値観と戦いながら、アスリートとしても成長していく様を描いているのだけれども、途中から「あれ、これってただの不倫物語になっていない?」と感じはじめてしまったからだ。
「Battle of the Sexes」は、1960年代から1980年初頭まで大活躍した女子テニスプレイヤー、ビリー・ジーン・キング選手(演:エマ・ストーン)の半生を赤裸々に描いた映画である。そして、物語のクライマックスは、彼女が29歳だった1973年に、当時55最だった往年のテニスプレイヤー、ボビー・リッグス(演:スティーブ・カレル)の間で繰り広げられた有名な「男女対抗試合」が舞台となる。
この試合に至るプロセスとして、女性アスリートが成長していく過程の中で仲間も巻き込みながら、障壁を乗り越えて権利や賞金を勝ち得ていくサクセスストーリーが小気味よく描かれる。そして良き伴侶である弁護士・不動産業者のラリー・キング氏とも出会い、公私ともに順調な日々を送る。
少しづつ歯車が狂い始めたのは、後に恋人となる美容師のマリリン・
しかし、完璧な人間なんていない。自分の本当の気持ちに目覚めたときに、すでに結婚していたという同性愛者や両性愛者は数多くいる。今の時代の価値観で彼女を断罪することは、その時代にあった苦難や困難を無視することとなるだろう。
どんなに素晴らしいアスリートであっても、人の人生なんてそれなりに複雑で影の部分や負の側面を持っているのが普通だ。本作を監督したヴァレリー・ファリスとジョナサン・デイトン夫妻が「ぐちゃぐちゃな人生を描きたかった」と語るように、スポーツや女性の権利といったテーマから離れて、ビリーの人間臭い側面を描写するシーンが中盤比較的長く続く。そこで、冒頭に述べた「裏切られた感」にもつながるのだが、この描写が物語全体のバランスの中で重要な意味を持つことが後にわかってくる。そんな人生が丁寧に描かれているからこそ、次第にエマ・シーンが演じるビリーに視聴者は共感していくからだ。
まだ見ていない人も多い映画だと思うし、なるべくネタバレは避けたいので、ここで少し脇道に外れて作品全体について触れたい。
まず主演のエマ・ストーンにとって、このビリー・ジーンという役は、役者としての幅を見せる上で本当にやりがいのある仕事だったのではないだろうかということは、様々なインタビューを見ても伝わってくる。「La La Land」で第89回アカデミー賞主演女優賞を受賞したエマ・ストーンが、次にどんな演技を見せてくれるのか、そんな期待を持って映画館を訪れた人も多いと思うが、いつもは可愛らしいイメージの彼女が、化粧っ気のないストロングスタイルのビリー・ジーンを魅力的な女性として好演しているのが清々しかった。
また、『フォックス・キャッチャー』でジョン・デュポンの狂気を見事に演じきったスティーブ・カレルが、今回も怪演を見せてくれる。ボビー・リッグスのキダ・タロー感もしっかりと再現されていて、モデルになった人物を知っている人でも、違和感なく物語の中に入り込むことができるだろう。
二人の戦いが、2016年に行われた大統領選のトランプ VS ヒラリーと重なってくる。このテーマは今の時代と地続きだ。「ウーマンリブ」とか「フェミニスト」とか、「ジェンダー学」のようなものを忌み嫌う人こそ、この映画を見てほしい。共感こそできないかもしれないが、男と女という区別ではなく、一人の人間としてビリーとボビーの人生を眺めたときに、少しだけ今よりも生きづらかった時代がかつてあったことに思いを馳せられるのではないだろうか。
物語後半で、彼女の秘密を共有し、ただ一人味方となってくれるのが、自身も同性愛者で、元テニスプレイヤーだったファッションデザイナーのテッド・ティンリング(演:アラン・カミング)だ。日本のバラエティに慣れてしまっていると、彼をファッション系のオネエキャラの友人ような位置づけで見がちだと思うが、彼の人生にも、一つの映画になるような物語が潜んでいることを後で知った。以下の記事に詳しく記述されているので興味のある人は読んでみてほしい。
ウィンブルドン前におさえておきたい!『バトル・オブ・ザ・セクシーズ』に見るテニスファッション革命
そのデッドが、「男女対抗試合」を終えて大歓声の中観客の待つ会場に戻るビリー向けて声をかけた言葉が、物語の最後でとても重く見る人の心に突き刺さる。カタルシスを得たすぐ後に、また振り出しに戻れれた気分になるとでも表現すれば良いのだろうか。
そうだ、まだ戦いは終わったわけじゃないのだ… これから、長い長い戦いの道のりがはじまるのだ… そう思うと、自然と涙がこぼれた。
でも、悲観してはいけない。彼女はヒラリー・クリントンが打ち破ることができなかったガラスの天井を打ち破ったのだから。
この戦いで彼女が手に入れたものは、希望だ。その光は今も、差別や偏見と戦う私達を照らし続けてくれているのである。