脚本家の橋田壽賀子さんが亡くなられた。
僕の人生の中でとても大きな影響を受けた作家さんの一人なので、ご存命の間にこのブログに想いをしたためておきたいなと思っていた。ご高齢だったので随分前から覚悟はしていたのだが、実際に訃報に触れて少し体が震えるくらいショックを受けている。
一昨年あたりに「おしん」の再放送があり、Twitterのトレンドでも盛り上がって、放映当時には生まれていなかったような若い世代にも脚本家・橋田壽賀子の凄さが再評価されるという現象があった。その時も橋田壽賀子についての自分の想いをブログにまとめようと思い下書きが残されている。しかし、今日までそれを完成させることはできなかった。ミュージシャンが売れていない当時から応援し続けてきた古参ファンの心理に近いものがあって、オフ会イベントが開催されるまでの盛り上がりを、少し冷めた目で見ている自分もいたのかもしれない。
橋田壽賀子作品との出会い
最初に橋田壽賀子作品を意識したのは、両親の視聴に仕方なく付き合わされて『渡る世間は鬼ばかり』のシーズン1を見た時だった。テレビには、バブル時代の名残がある恋愛ドラマとバラエティばかりが溢れかえっていた時期だったので、高校生の僕には新鮮に思えたのだろう。その後『おしん』や『いのち』、『春日局』といった高視聴率の朝ドラ、大河ドラマも手がけていることを知り、すごい脚本家なのだということを知った。大学受験の志望校を美術系大学から、早稲田の文学部に変更したのも橋田氏の影響が少なからずあったように記憶してる。
受験に際して僕は何かクリエイティブな職業につきたいと思っていたが、一つに決められなくて美術・映像/演劇・音楽・文芸全てが学べる進路先を探していた。そして、一浪の末、やっとの思いでなんとか合格できたのが早稲田大学の第二文学部だった。第二文学部には、当時としては珍しくTVドラマに関する講座もあり、その時すでに研究テーマで橋田壽賀子を取り扱おうと思ったくらいに、橋田作品にのめり込んでいた。今でこそ、比較的容易に過去のTVドラマの映像を見ることはできるようになってきているが、映画と違い過去の作品を実際に見ることは難しかったので、資料集めで橋田ドラマの書籍化された脚本を神田・神保町に通って探したこともある。
そんな橋田ドラマへの情熱が少しずつ冷めていくようになる。その原因には「橋田壽賀子が好き」と言ったときの周囲の反応があった。『春よ来い』降板事件を受けて記者会見で出た「飼い犬に手を噛まれた」発言によって、今で言うところの炎上に近い状態にあった時期が重なっているのも大きい。降板事件よりも前に、自伝的ドラマの主人公に、安田成美を据えることに対する揶揄もかなり多かった。橋田壽賀子に安田成美では美化され過ぎだろうというイジリが平然となされていたのである。
僕としては手塚治虫、鳥山明といった人たちと同じ「好きな作家」という箱に入っているのに、男性で橋田壽賀子が好きというだけで「変わった子」というレッテルが貼られ、好奇な目で見られ笑われた。なぜ、笑われるのか、僕は不満だった。しかし、そうした視線が橋田壽賀子が戦ってきたものの全てなのだということに気づくのはずっと後のことである。
橋田壽賀子と向田邦子の評価の違い
ホームドラマというジャンルの脚本家という扱いで橋田壽賀子が語られる時、必ずと言って比較対象にされるのが向田邦子だ。少し映像作品に詳しい人物とドラマを語り合う時でも必ずと言っていいほど「向田邦子ならわかるけど、橋田壽賀子はちょっと…」という反応が出てきた。
なぜ、向田邦子は良くて橋田壽賀子がダメだと語られることが多いのか考える前に、以下の文章を引用しておきたい。
ところで、橋田壽賀子のライバルは向田邦子だったという話がある。
橋田壽賀子の場合、粘着力のある長ゼリフで見る者を圧倒し、いかにも大衆性のあるドラマを書く。一方、向田邦子の方は歯切れのよいキビキビした遣り取りによって、科白の裏に込められた深甚の想いを汲み取らせるタイプ、どちらかと言えば”純文学的”な風合い。毛色の異なる二人だけに、ライバルという呼び名は一見そぐわないように思える。
ところが、橋田壽賀子の弟分を自任する日本テレビの気鋭のプロデューサー、平林邦介の話によると、向田邦子が飛行機事故によって亡くなった時に、その悲報に接した橋田壽賀子は、茫然自失、ショックのあまり仕事が手につかなくなったそうだ。張り合いを失ったことで人生が空しく感じられ、暫く鬱状態が続いたという。実際、その頃依頼のあった仕事を幾つか断りさえしている。
それまで、橋田壽賀子は、向田邦子を意識するような発言を行ったことがなかった。しかし、本当のところ、彼女の存在があったからこそ、自分を励ますよすがとして、これまで頑張って来られたようなものだという。このときになって初めて、周囲の人々は橋田壽賀子の好敵手が向田邦子であったことを知った。力ある者同士にしか判らない。”阿呍の呼吸”というものがあるのだろうか、或いは、そこには我々凡愚の容喙を許さない、武蔵と小次郎の美しい闘争の世界があったのだろうか。結局表に出ることのないまま、向田の死という結末を迎えたわけだが、いたく心を動かされる話ではないだろうか。
やがて橋田壽賀子は、好敵手向田邦子の死から立ち直ると共に、俄に「書けるうちに自分の書きたいものを書いておきたい」という気持が募って来る。これがドラマ「おしん」執筆へと向かわせる切っ掛けとなった。昭和五十八年四月放映されるや、社会現象とまでいわれた例のブームを巻き起こしたことは万人周知の通りである。
出典:『女たちの百万石』橋田壽賀子著 講談社文庫 p277~283 / 解説:テレビウォッチャー 大鷹 伸
この文章からもわかる通り、橋田壽賀子にとって向田邦子は大きな存在であったことは間違いない。橋田氏はインタビューで幾度となく、シナリオライター御三家と呼ばれた倉本聰、山田太一、向田邦子と比べて自分は二流の脚本家だということも語っている。
橋田壽賀子ドラマのセリフは説明調で長く、「〇〇するって法はない」「ありがたいと思っている」といった定型な言い回しが多用されるので、それを嫌う評論家は多い。それらは意図して行われていることなのだが、ト書きなどで状況や場面を詳細に設定し、セリフとセリフの間にある行間まで読み取らせていくような向田邦子ドラマとは真逆のスタイルだ。
そこに芸術性の有無を感じ、向田を評価する一方で橋田を評価しない人々がいるのはわからない気がしないでもない。なによりホームドラマの脚本家という括りで見た時に、橋田氏自身にとっても向田邦子という脚本家の存在は一つの目標であったようにも思える。
橋田壽賀子とフェミニズム
しかし、それらが本当に評価の差となる原因であろうか。僕は違うと思う。なぜなら、その原因は橋田壽賀子ドラマの根底に流れるフェミニズムにあると考えるからだ。
橋田壽賀子も向田邦子も、女性視点で物語を描写していく作家であることには変わりない。しかし、向田邦子の作品に描かれる女性像・男性像と、橋田壽賀子の作品に描かれる女性像・男性像を比較してみると、そこには明らかな違いがあることに気づく。
僕は向田邦子の作品を語れるほど、彼女の作品には触れていない。ほんの少し映像や脚本に触れた程度なので間違いもあるかもしれない。しかし、向田作品のタイトルや登場人物の相関を見ただけでも、『七人の孫』『寺内貫太郎一家』『パパと呼ばないで』といったドラマの他に、代表的な随筆集『父の詫び状』など、父親が中心の家庭が描かれていることが多いことはわかる。個人的な見解だが、家父長制の中で生きる女性の性(さが)を描いているのが、向田邦子作品だと思う。
それに対して、橋田壽賀子作品に描かれる女性は、常に自立していく女性として描かれる。嫁姑の人間関係がテーマの作品でも、最後には女性の自立が描かれている。そこに登場する男性たちは、憎めない存在ではあるものの、ドラマを動かす中心的な存在としては登場しない。大河ドラマのような時代劇においても、『おんな太閤記』『春日局』や『おんなたちの忠臣蔵』といった作品に代表されるように、歴史物語の視点は女性に置き換えられている。そうした作品の中では、他作品ではヒーローとして描かれている武将・武士も、マザコンで自己中心的ダメ夫として描かれていたりするのだ。向田作品にもダメな男性は数多く出てくる。しかし、それらは男性中心社会そのものを否定するものではないと感じる。
橋田氏自身も「私は男性が描けないのよ」と言った趣旨のことをよく語っていた。男性が描けないと言うより、男性視聴者が素直に感情移入できるような男性が描けないというのが、その本質に近いように思う。橋田壽賀子作品の根底に流れるフェミニズム的な世界観を、男性視聴者のプライドが受け付けないのではないかという仮説が僕の中にはあるのだ。
『おしん』青春編の冒頭、女学校に通う加代がおしんに雑誌『青鞜』や平塚らいてうの思想について啓蒙するシーンがある。『元始、女性は太陽であった』という言葉に象徴されるような女性解放運動の片鱗をドラマのセリフに盛り込んだのは、『おしん』のテーマの中にフェミニズム的なメッセージも流れていることの証左である。
橋田氏自身も、映画産業という男性社会で脚本家として修行していた時代に、数多くの差別的な待遇を受けていたことは、エッセイ集やインタビュー記事からも伺える。常に男性社会と戦う中で、脚本家としての地位を固めていくのだ。そして、面白いのは打算によってTBSの岩崎
多くの男性が忌み嫌う女性がいる。例えば、福島瑞穂、辻元清美といった女性の政治家や、田嶋陽子、上野千鶴子といったフェミニストたちだ。それらの女性と同じカテゴリーの中に橋田壽賀子という作家が入れられているように感じられることも多々あった。そこで決まって行われるのは、実績や活動そのものの批判よりも、ルックスへのイジリだったり、トーンポリジングであったりする。実績や活動を評価する前に、生理的に受け付けない、そんな感じだ。
実際のところ、橋田壽賀子作品を嫌う人たちの多くは、橋田壽賀子の代表作をほとんど見ていないことが多い。近年放映されている『渡る世間は鬼ばかり』シリーズは、晩年の代表作であることは確かである。しかし、特にシリーズの後半は橋田氏本人もそれほど乗り気で書いたものではないということは各方面でも語られている事実であり、他の作品をある程度見ている僕でも、(シリーズ1〜2あたりまでを除き)脂の乗り切ったピーク時の橋田ドラマとは全く異なるもののように感じる。松本零士の近年の作品を見て、松本零士を評価するのは具の骨頂であるのと同様に、橋田壽賀子ドラマも晩年の作品のみの視聴で語るものではない。巷の評論家たちが橋田作品に対して行うダメ出しは、ほとんどが晩年の作品のセリフ回しについてである。
しかし、橋田作品のすごさは、表現形式よりも、その意味内容にあると僕は思う。『おしん』を見てもわかる通り、幼少期に出てきた小さなエピソードが後のストーリーの根幹的なテーマに繋がっていく緻密な構成力は他の追随を許さない。圧倒的な物語の構成力の中では、パターン化されたセリフ回しなどは些細な問題であって、似たようなギターリフが繰り返されたとしても、名曲は名曲なのと同じである。
夭折した向田邦子が天才ジョン・レノンなら、ヒット作品を次々に作り出す橋田壽賀子は稀代のメロディーメーカー、ポール・マッカートニーだ。大衆的な作品であるからといって、ポールの楽曲を批判する人はいないであろう。橋田ドラマも同様に、おばけ番組と呼ばれるような高視聴率ドラマを生み出す脚本家であっても、その文化的な価値を低く見積もられるものではないということを、もっと多くの人に伝えたい。その点、一昨年から再放送された『おしん』の再ブームは、橋田壽賀子の再評価につながる大きな布石であったように思う。今回の訃報を機に、ぜひ多くの作品が再放送されることを願っている。
橋田壽賀子先生へ贈る言葉
テレビドラマの評論というのは、今も確立されたものではなく、映画評論家や文芸評論家といったジャンルの人々によって判断が下されることが多い。権威のある評論家たちは、男性が多かったというのは想像に難くない。一昔前、ホームドラマは「飯食いドラマ」と言われ、テレビドラマ作品の中でも評価の低いジャンルだった。「飯食いドラマ」という表現は、海外の「ソープオペラ」といったジャンルに近い。主婦が暇つぶしに見るドラマといった認識が少なからずあったのだ。これは、橋田壽賀子だけでなく平岩弓枝といった作家に対しても同じような見方であったと思う。芸術賞的な評価の場面でホームドラマが正当な評価を得ることは少なかった。その中でも、向田邦子作品が評価され続けるのは、決して男性中心の社会を邪魔するような作風ではないという点も大きいように思う。そして、”美人”女流脚本家という男性視点のルッキズムもそこには介在しているのではないかと感じることも多いのだ。
そんな賞レースから取り残された橋田壽賀子ではあったが、『おしん』での実績によって菊池寛賞を受賞している。菊池寛賞は文芸作品に送られる賞ではないが、芥川賞・直木賞と同じ日本文学振興会が授与する賞で、エッセイ集『こころ模様』でも、その受賞の喜びについて綴られている。橋田壽賀子がいわいる芸術賞的な評壇で評価されたのは、この菊池寛賞が唯一かもしれない。
第一、橋田壽賀子という脚本家はホームドラマというジャンルだけで括られるような脚本家ではなく、脚本家としての実績全体を見渡したときに向田邦子は的確な比較対象ではないと考えるのが妥当だと思う。そして、橋田壽賀子が評論家界隈では評価されていないということを語ったが、数多くの脚本家(特に女性脚本家)に多大な影響を与えていることも言っておかなければいけない。近年ヒットした朝ドラは『カーネーション』を筆頭に『おしん』から大きな影響を受けている。また、『おしん』や『いのち』といった作品がアジア・中東地域を中心に世界各国で大人気となり、社会現象まで呼び起こすほどの影響を与えているということも忘れてはならない。翻訳されても世界中で愛される作品となるのは、主婦が家事をしながらでも粗筋がわかるようにと説明調になった長台詞も功を奏しただろう。
エスムラルダさんや、米良良一さんといったジェンダーレスな方が熱心にメディアで語る様子は見たことがあったけれども、男性の著名人で橋田壽賀子作品が好きだと公言する人は少なかった。しかし、最近は橋田ドラマを熱心に語る男性も増えてきたように思う。伊集院光さんも、現在『おしん』にハマっているそうだ。『おしん』の再放送でTwitterで盛り上がった人たちにも、沢山の男性視聴者がいた。ジェンダーに関する問題が広く理解されていくなかで、男性が好きになると揶揄われるジャンルというものもなくなりつつある。もう「橋田壽賀子が好き」といっても、僕を笑う人は少ないだろう。
変なレッテルが貼られるのが嫌で橋田ドラマが好きだということを隠していた時期もあった。しかし、それは浅はかな考えだったように思う。本当に大切なものは嘲笑の中にある。
ドラマを通して人生において大切なことを沢山教えてくれた橋田壽賀子先生へ。
ありがとうございました。これからは自信を持って「僕は橋田壽賀子作品のファンです」と表明していくことを誓います。安らかにお眠りください。合掌。