お姫様とジェンダー (若桑みどり)
お姫様とジェンダー―アニメで学ぶ男と女のジェンダー学入門 (ちくま新書)
ジェンダー学に関する本を1冊読んでみたいという気持ちが前々からあった。とはいえ、男性がジェンダー学の本をはじめて手にする場合、著者の選定はとても大事だと思う。その人が、ジェンダー学やフェミニズム、そしてジェンダーという言葉そのものの印象を決定づけてしまう可能性があるからだ。それは、どんな学問領域でも起こり得る問題なのだろうが、ジェンダー学は男性社会や男性的な思考に批判が及ぶので、それを冷静に受け止められない人にとってはハレーションを起こしやすい。
この前読んだ北村紗衣氏の「批判の教室」が面白かったので、北村氏のフェミニスト批評に関する本を読むのもいいかなと思ったが、その前にもっと基本となるジェンダー学関連の読みやすい本を探していた。そこで、Amazonを調べていて、前々から気になっていた本を読むのがいいかなと思い手に取ったのが本書だ。
若桑みどりという美術史家
本書の著者である若桑みどり氏の本は、文学部の学生だった頃に読んだことがある。それは「マニエリスム芸術論」という本で、美術史や芸術学系の演習の発表のために読んだように記憶している。
若桑みどりという美術史家はマニエリスムという盛期ルネサンスからバロック初期までの芸術様式についての研究において日本で第一人者だ。私はルネサンス期の美術や彫刻が好きだったので、「マニエリスム芸術論」を選んだのだろう。
ただ、この本は非常に専門的で、最後まで読破できたのかどうか定かではない。うっすらと残る記憶としては、若桑みどりという美術史家は女性で、その語り口は《その当時の私の印象として》とても“男性的で力強い”文体だったなという印象があった。今思えば、男性的という見方は偏見なのだが、それまでに読んだ女性の文章とはまったく違っていたという感触は、アカデミックな分野におけるジェンダーギャップを如実に表していたのかもしれない。
若桑みどりとジェンダー学
そんな美術史家、若桑みどりという人物が、上野千鶴子氏とも親交がありジェンダー学の分野でも活躍されていたということを知るのは、もっと後のことである。ジェンダー学関連の本も多数著しているということで、前々から、ジェンダー学やフェミニズム関連の本を読むなら、若桑みどりにしようかなと、薄っすらと思っていた。
そして、文化史的な視点でジェンダー学を読み解いていくのが、自分にはあっているかなと思っていた。しかし、映画や演劇などにそこまで詳しくないので、ディズニーアニメのプリンセスストーリーを中心にジェンダーを解説するこの本が、最初に手にとる本として最適なのではないかという結論に至った。
ジェンダー学の入門書として最適
この本は、若桑みどりが川村学園女子大学でおこなった講義をもとにまとめられた本である。第1章「女子大でどうジェンダー学を教えるか」では、「ジェンダー学とは何か」「家父長制とは何か」「男女共同参画の意義」「ジェンダーと文化の関わり」という基本を、わかりやすく丁寧に解説してくれている。
大学の先生らしく、もっと詳しく知りたいなら、この本を読むといいという解説も添えられている。その中で、ジェンダー学を学ぶ上で知っておけなければならない海外の研究者や日本のジェンダー学の第一人者である人々と知ることもできる。非常にわかりやすく説明してくれているので、この1章を読むだけでも、本書を読む価値はあるだろう。
そして、女性を対象とした講義内容ではあるが、ジェンダー学を学ぶことは、女性だけでなく男性にとっても有益であること、男性の背負う困難から開放するのものであることも、しっかり伝えてくれている。2000年代前半の本なので、時代的にLGBTQといったトピックはまったく触れられていない。一方で、男女共同参画が出されて間もなくの頃から、今もまったく状況が変わっていないことに驚く。変わったこと、依然として変わっていないことを確認するという意味でも、より高度な解像度が必要となる多様なジェンダーはひとまず横において、女性・男性の二元論で展開する理解するという意味においても、本書はジェンダー学入門として最適かもしれない。
ジェンダー社会論とジェンダー文化論
加えて、ジェンダー学は、(ジェンダーとは「社会的・文化的性差」なのだから)大きく分けてジェンダー社会論とジェンダー文化論があることも知ることができる。おそらく、男性の場合、ジェンダー社会論よりもジェンダー文化論から、ジェンダー学に触れるほうが興味を持てるのではないか思った。本書はディズニーアニメという文化を中心にまとめられているが、若桑みどりの本職である美術史の分野でもジェンダー文化論を展開している著作があるようなので、次はその本を読んでみたい。
プリンセスストーリーとジェンダー
続く第2章ではプリンセスストーリーとジェンダーの関わりを解説、第3章から第6章までは「白雪姫」「シンデレラ」「眠り姫」「エバー・アフター」といった作品を鑑賞しながら学生たちの感想を交えて解説していくというのが、本書の流れである。「エバー・アフター」は、ディズニー映画ではないが「シンデレラ」のリメイク映画で、ジェンダーの変化を捉える作品として最後に取り上げられている。本書は2003年に刊行されているが、若桑みどり氏が存命であったなら、この最終章はおそらく「アナと雪の女王」に置き換わって講義が行われていたのかもしれない、そんな風に思った。
教育者としての若桑みどり
この本で感銘を受けたのは、ジェンダー学への学び以上に、教育者としての若桑みどりと、その教え子たちとの交流である。若桑氏自身が、巻末の謝辞で語っているように、本書は川村学園女子大学の学生たちの協力がなければ、完成しなかった内容である。プリンセスストーリーを鑑賞した学生たちの感想文を読むことで、学生たちのジェンダーに関する考え方が少しずつ変わっていく様子が活き活きと伝わってくる。
学生たちの感想文は、かなりのボリュームを占めるので、正直なところ最初は読み飛ばすパートかなと思って読み進めていた。しかし、学生の書く文章を読むなんて興味をもって読めるかなという懸念は、すぐに間違いであることに気づく。若桑氏が、学生たちの文章は、提出してくれたものをそのまま掲載していると述べているが、それぞれの考察は深く、主体的に講義を受け、考えて感想を書いていることが、ひしひしと伝わってくるのである。
そんな中で、若桑みどりが、なぜ晩年、美術史だけでなくジェンダー学の領域に進むことになったのか、東京芸術大学教授から千葉大学教授を経て、自身の教育者としてのキャリアの最後に、なぜ女子大を選んだのかということも、分かってくる。
本当にジェンダー学を必要としているのは誰なのか
本当にジェンダー学が必要な学生とは誰なのか。それは、良妻賢母を輩出するために存在するような女子大学の学生であることを、若桑みどりは切実に捉えていたのであろう。
それこそ、国立大学に進学するようなエリートの女性は、ジェンダーギャップのある社会であっても自身でキャリアを築いていくことは可能である。しかし、良き妻、良き母になることを期待され、自身もそれが自分の将来なのだと疑わない女子学生にこそ、ジェンダー学とは何か、プリンセスストーリーの影にある家父長制とは何かを知ることが、非常に重要なことであることに気付かされる。
私は女性に生まれたというだけで「大学なんていかなくていい」「四大じゃなくて短大にしろ」といった差別が、現実問題として当たり前のように存在していたこと、そして現在も存在していることに、あまりにも鈍感だったように思う。そして、受験の難関ではない女子大の学生たちに対する偏見も、自分の中にしっかりと根づいていたことにも気付かされた。
戦うプリンセスとして
学生たちの感想文は実に聡明で、考察力に長けている。もちろん、熾烈な受験勉強を避けて大学に入学した学生もいるだろうが、親に女の子は勉強なんかしなくていい、そんな言葉を浴びせられて、自分の持っている可能性を十分に発揮できてなかった学生も、思っている以上に多いのではないかと考えさせられた。
若桑みどりの講義を聴く中で、学生たちはじっとやってくる幸運を待ち続けるだけではダメなんだと気づく。主体的に行動し、自分の意見を述べ、社会の構造と向き合い、おかしいと思ったことは批判する。そんな当たり前の武器を、彼女たちは一つ一つ拾い上げていく。そして、最後には自ら戦うプリンセスになっていくのである。
同様に、若桑みどり自身も、アカデミズムの世界で戦うプリンセスの1人であったように思う。当時から20年近く経っているが、川村学園女子大学で若桑氏の講義は、今現在も教え子たち「誇り」と「人生の宝物」になっているに違いない。