自分は本当にスポーツが好きなのかと思うことが多々ある。スポーツが美化されればされるほど、なんとうか辟易してしまうのだ。
スポーツの裏側を知ってしまうと、手放しでスポーツの試合に感動できなくなってくる。
人間が作り出す文化には、どんなものにも正の側面と負の側面がある。それはスポーツについても例外ではない。勝者に取り巻くハイエナのような輩がいる一方で、その選手の不遇な時代から支え続けてきた指導者やサポートする人々がいる。
それでもスポーツに魅力を感じているのは、私は、試合そのものを観戦することよりも、スポーツ・ノンフィクションや、スポーツ映画、スポーツドラマ、スポーツ漫画などを通して、アスリートの生き様や哲学を知ることが好きなんだと思う。スポーツそのものを見ているというより、スポーツを通してその人の人生に自分を重ね合わせたり、共感したり、時に反感を覚えたりしているのだ。
トーニャ・ハーディング選手の存在は、強烈だった。伊藤みどり選手とは別の意味でフィギュアスケートを身近なものにしてくれた選手だ。
スポーツにあまり興味のなかった頃も、フィギュアスケートは、身体芸術の一つとして、興味深く観戦していた。けれども、フィギュアスケートというのはお金持ちのスポーツで、ウィンタースポーツが盛んな地域以外で育った一般家庭の人間が、気軽に体験できるスポーツではない。だから、どこか遠くの世界の物語、プリンスとプリンセスの園遊会を外側からそっと見させてもらっているような気分で観戦していたように思う。
そんなフィギュアスケートをぐっと現実的で身近なものに感じさせてくれたのがトーニャだったと思う。ナンシー・ケリガン襲撃事件に関わっていたという疑惑によって、連日ワイドショーに取り上げられ、華やかなフィギュア界に忽然と登場したヒールとして一躍有名になった。当時はまだ高校生だった私だが、ヒールであるはずの彼女にどこか同情をしていたように記憶している。その後得た情報から、思い出補正されているのかもしれないが、貧しい境遇から実力で貴族的なスポーツ競技の世界を這い上がっていった彼女は、ある種のダークヒロインだったと思うし、世間もバッシングしながらも、どこかで彼女に惹かれていた部分があったのではないだろうか。
そんなトーニャ・ハーディング選手半生が『I, Tonya(アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル)』として映画化されるそうである。日本では、2018年5月4日公開予定。
トレーラーを見ただけだけど、すごく刺激的だし、スポーツに興味がない人でも面白いのではないだろうか。マーク・ウォール
映画の詳細は下記リンク、たまむすび「アメリカ流れ者」の書き起こしでどうぞ
miyearnZZ Labo「町山智浩 映画『I, Tonya』を語る」